井上靖略歴
敬称略しました  
1907(明治40)年5月6日 北海道上川郡旭川町(現在・旭川市)第2区3条通り16ノ2に生まれる。
(父・隼雄=軍医、母・八重=湯ヶ島の医家の長女 の長男)
 
1908(明治41)年 父の任地変更(朝鮮に従軍)で伊豆湯ヶ島に戻る。  
1912(大正元)年 両親と離れ湯ヶ島で戸籍上の祖母かのに育てられる。  
1914(大正3)年 湯ヶ島尋常小学校入学(現在廃校)。  ・
1920(大正9)年 浜松尋常高等小学校に編入学。
4月、静岡県浜松師範学校附属小学校高等科に入学。
〔入学前に浜松中学を受験するも落第。〕
 
1921(大正10)年 静岡県立浜松中学校に(首席で)入学。  
1922(大正11)年 静岡県立沼津中学校に転校。
 家庭の事情により両親と別れて戸籍上の祖母かのと一緒に伊豆で少年期を過ごした。
そして、郷里の近くにある沼津中学校を卒業したのち・・・浪人生活をする。
「北の海」(昭和50年作)はその時代を素材にしています、この作品は「しろばんば」「続しろばんば」「夏草冬濤」に続く少年から青年への移行期を取り扱った作品です。
 
1927(昭和2)年 金沢市の第四高等学校理科に入学。柔道部に入る。  
1930(昭和5)年 金沢市の第四高等学校理科甲類を卒業し、九州帝國大学法学部英文科に入る。  
1932(昭和7)年 京都帝國大学哲学科(美学専攻)へ転じた。  
1936(昭和11)年 長い学生生活にも終始符をうち、29歳で卒業しました。
「流転」で千葉亀雄賞を受けたのが縁で「毎日新聞」の記者になる。
 
1950(昭和25)年 43歳で「闘牛」により芥川賞を受賞。  
1951(昭和26)年 毎日新聞社を退社。以後創作の執筆と取材、講演のための旅行を続ける。  
1958(昭和33)年 「天平の甍」により芸術選奨文部大臣賞を受賞。  
1964(昭和39)年 (東京オリンピックの年に)日本芸術院会員となる。「風濤」により読売文学賞を受賞。  
1969(昭和44)年 「おろしや国酔夢譚」により新潮社第1回日本文学大賞を受賞。日本文芸家協会理事長に就任。  
1976(昭和51)年 69歳文化勲章受章。  
1991(平成3)年1月29日 83歳 逝去  
 
私見: 井上靖はノーベル文学賞候補と云われ、もうすこしで手が届くというところで亡くなったと私は思っているのです。題材も中国、露西亜とあるからです。
(のちに大江健三郎がノーベル賞を受賞された)そろそろ日本の作家が受賞する番?であったからです。
2020年1月4日新聞報道で
『1969年のノーベル文学賞選考で「天平の甍」「敦煌」などで知られる作家の故井上靖氏(1907〜1991)が候補者に推薦されていたことが分かった。選考主体のスウェーデン・アカデミーが共同通信の請求を受け、2日に資料を開示した。井上氏が候補となっていたことが公式資料で判明するのは初めてで、ドイツの大学教授が推薦していた。井上氏について、アカデミーは「まだ十分な調査がなされていないため、今年の新たな日本への賞は除外する」と指摘。井上氏はその先の選考から漏れた。
川端康成が受賞した1968年の選考まで、候補に含まれていた作家の三島由紀夫と詩人の西脇順三郎は、1969年の選考では推薦されていなかった。
1969年は井上氏を含め103の候補推薦があった。
1970年に受賞したロシアの作家、故ソルジェニーツィン氏も初推薦されていた。』知りましたので追記しました。
2007(平成19)年 生誕100周年を記念して“風林火山”がNHK大河ドラマで放送されました。
24.03.02.更新    02;07.29裕・記編集



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